二代目マネージャ 高橋(黒鉄)かよ

ワタクシ、自他ともに認める「思い出の無い女」。正確には、「無い」わけではなく「少ない」または「あまり正しくない」ということだと思うのですが、もともと記憶力が悪いうえにあまり過去を振り返らず(いや、振り返る余裕もなく)今を生きているため、過去の出来事をよく覚えていないというタイプです。さらには、数々の転居及び断捨離、さらには1年半前の海外移住により多数のモノを処分したり意図せず紛失したりもしています。よって、この企画でのご依頼に対して「ちゃんと書けるのか?」と不安に思っていたところ・・・・とーんでもない。意外にも、多少の写真と記憶は残っていました。細かいことや時期、その順番などはめちゃくちゃだと思うのですが、本一冊分になってしまうんじゃないかと思うほどの長文になりつつあり・・・逆に、そぎ落としてそぎ落として必死にまとめた次第。いや、まとまってもいない長文ですがお許しください。

マネージャとしては1994~1997年の約3年間という短い期間でしたが、それ以前のスタッフ時代も含めると5~6年間お手伝いさせてもらいました。そしてその後はずーっとオーディエンスとして客席にいます。自分が25~28歳だったマネージャ時代は、インディーズからメジャーな音楽ギョーカイへ突入、そして華々しくデビューという重要な時期であり、正直、一人では抱えきれないほどの苦労も苦悩もたーくさんありました。でも、当時のボーイフレンドや友人たちが応援して支えてくれていたし、毎日が本当に刺激的だったし、サイコーにサイテーで、サイテーでサイコーな3年間でした。その経験のお陰で、我が人生がよりエネルギッシュでよりカラフルになったと言えます。何よりも、当時から現在までのすべてのメンバーのみんな、サポートメンバーの皆さん、前マネージャのMちゃん、事務所代表の岡本さん、長年にわたって一緒にスタッフとして手伝ってくれたKちゃん、レコード会社のディレクター中村さんをはじめ関係者の皆様、シアターブルックを通して出会ったすべての先輩方や仲間達は一生の宝物。その出会いに、心から感謝しています。

実はもう記憶も記録も定かではないのですが、私がシアターブルックとの出合ったのは、たしか1990年後半か91年前半。安月給の会社員21歳、世間ではまだバブルの余韻が残っていたものの、その恩恵も影響もなかった私。ボディコン系でもなくライヴハウス系でもなく、週一ほどクラブに夜遊びに行き、早めの時間から終電まで、もしくは始発までひたすら爆音で音楽を聴いて踊り倒すという遊び方が基本でした。当時、井の頭沿線に住んでいたこともあり、お気に入りは下北沢 ZOO(その後SLITSに改名)。特に、大きなアフロヘアのFunky “D” ITO氏による木曜日のファンク・パーティが大好きで、ほぼ毎週通っていました。プレイされる音楽はもちろん、伊藤さんや現Enjoy HouseのGOさんのファンキーなファッションとダンスもまた楽しみでした。

ある夜、いつものようにZOOに入ったところステージに楽器や機材が所狭しとセッティングされており、それを見たワタシ的はぶっちゃけ冷ややか。「えー、中途半端な生演奏を聴かされるより、いつものようにファンキーなDJプレイで踊っていたいのにー。」 と、少々シラけ気味でステージから距離を置き、バーボンロックを呑んでいたところにそのバンドが登場。

演奏が始まったら・・・衝撃!

ファンキー!

「え、えぇーーー、日本にこんなバンドいたの?!」

当時のメンバーは、Vo新見さん、Gタイジ、B高月さん、Dr三嶋さん、Key 川野くん、TurnTableヨニシ。どの曲をやっていたのかも記憶はありませんが、とにかく大好き!になりました。そして、当時はお約束として配布されていた(今後のLiveの)フライヤーをスタッフの方から手渡しで受け取り、翌日からはシアターブルックのLiveを総なめするほどのファン人生が始まるのでした。

つまり、あの夜もZOOに遊びに行っていなければシアターブルックに出会うことはなかったでしょうし、たとえ慣れない「ライヴハウス」という場所であっても彼らのライヴに通っていなければ、初代マネージャMちゃんと話をすることもスタッフになることもなかったし、マネージャになることを引き受けていなければ、結婚しても、子どもが出来ても、Liveやクラブに行くようなオトナにならなかったかもしれないし・・・とにかく、全く違う色合いの人生になっていたでしょう。

本当に出会いって素晴らしい。

私はその教訓が身に染みているのか、何かをやらずに後悔するのではなく、後悔するかもしれなくても挑戦してみることを信条としています。それに、シアターブルックの兄さんたちだって、いくつになってもエネルギッシュだし、むしろどんどん深みを増してカッコ良くなっていく。だから自分も、年を重ねても、出来る限り、やってみたいことにチャレンジしていたい・・・。ということで、今はダンナ&一人息子と共に南半球のシドニーに暮らしてみています。

せっかくのメジャーデビュー20周年、結成30周年というお祝いの時期、頻繁にシアターブルックのLiveにいけないのはとても寂しいですが、ネットのお陰で近況もシェアしてもらえているから大丈夫。少なくとも年に一回は、特に中津川SOLAR BUDOKANでは、直接会えるようにがんばりたいです。

ありったけの尊敬と愛を込めて…結成30周年、本当におめでとうございます。

シアターブルックはニッポンの宝です。

体にだけは気を付けて、無理し過ぎず、元気に長生きして、私たちみんなの希望をつないでいってください。

マジでお願いします。

“THANK YOU” シアターブルック